援助交際という言葉は1996年に一般化

援助交際という言葉が一般的になったのは1990年代のことです。「援助」も「交際」も意味がわかるけれど、この2つが1つになると、本来の意味とは大きく外れてしまうような気がしてしまいます。

主に女性が、とにかく金品や高価な食事などを求めて、恋愛感情抜きで男性とつきあえば、それを「援助交際」と呼ぶらしいんですね。それって、こういう言葉が生まれるずっと前からありますよね。

男性の方が、それと知っていて未成年に「おこづかいあげよう」などと声をかけるのは論外で、 多分これは一種の詐欺行為で、「援助交際」なんかではないでしょうね。

少女の側に「わかっているだろう」を望むのは大きな間違いです。どんなにロリコンでも、経験値の低い未成年を、お金などを餌に「釣る」行為はぐっと堪えて謹むべきです。大人の女性なら、そこは自己判断ということになるんですが。

女性側の意識の問題も大きい

ですから、「援助交際は良いか、悪いか」という時に問題になるのは、あくまで女性側の意識の方なのだと思います。

愛だの恋だのより、お金よ。お金のために、自分の体を利用するだけよと、完全に割り切っている人が、ちゃんと男性を喜ばせているのであれば、それを責めることは私にはできません。

ただ、問題はたくさんあります。ステディではなく、その場限りの男性と次々交際する行為は、病気蔓延につながる危険があることと、妊娠、堕胎を繰り返すような事態は、命の軽視であるという事実、心の空虚さを埋める手段であるなら、実はそれはまったく根本的な解決にはならない、ということに気づきにくいということ。

早く本当に大切なものに気づいてほしい

心と体を大切にすることは、その場の欲求を満たし金品を得ること以上に得るものがあると、いつどこで知り得るのでしょうか。

「援助交際」を便利に利用する人間関係を続けている限り、なかなかその真理にたどり着くことは難しいのだろうことが、とても残念です。